World CupFIFA WORLD CUP国際サッカー連盟(FIFA)が主催する、ナショナルチームによるサッカーの世界選手権。サッカーの大会の最高峰と位置付けられ、オリンピックを凌ぐ世界最大のスポーツイベント。 FIFAワールドカップは、予選大会と本大会で構成されており、本大会は4年ごとに開催される。1930年にウルグアイで第1回大会が 行われ、この大会を企画・発案した当時のFIFA会ジュール・リメの業績を称えて作られた「ジュール・リメ・トロフィー」をかけて争われた。 参加できるのは国またはそれに準ずる地域であり、厳密にはFIFAに加盟したサッカー協会を単位とする。これまでの優勝国は、 最多5回の優勝を誇るブラジルを筆頭に、イタリア(4回)、ドイツ(3回)、ウルグアイ、アルゼンチン(各2回)、イングランド、フランス、 スペイン(各1回)の8か国・地域だけ。なお、2002年大会までは前回優勝国は地域予選を免除されていたが、それに伴う強化不足や 収入減少が懸念されたり、予選枠拡大の要望があったりしたため、2006年のドイツ大会からは廃止となった。 優勝国にはFIFAワールドカップトロフィーが贈られる。これは1970年にブラジルが3回目の優勝を成し遂げた際、規定で「ジュール・リメ・ トロフィー」が永久保持となったため、それに代わる優勝トロフィーのデザインを一般から公募したもの。イタリア人の彫刻家、シルビオ・ ガザニガのデザインによるこの優勝杯は当該大会の優勝決定後、優勝国のサッカー協会に保存され、4年後の本大会開会式の際に返還 されていたが、2005年に純金製の3代目トロフィーが製作されたのをきっかけに、保安上の理由からドイツ大会以後は優勝国への トロフィーの授与は行うものの、それ以後の優勝国への保存はなくなり、閉会式終了後再びFIFAが管理することとなる。なお優勝国には トロフィーのレプリカが贈賞される。 予選大会は各地区ごとに1~2年間かけて行われ、地区によっては1次、2次、最終予選の段階に分けられる。最終的には「プレーオフ」や 「大陸間プレーオフ」が行われ全ての出場国が決まる。現在のルールでは、本大会に進めるのは32カ国(1978年までは1930年と1950年を 除き<16チーム、1982年から1994年までは24チームで、32チームになったのは1998年からである)。全出場国が決まってから、開催国で 各グループリーグの抽選会が行われる。世界を6地域(ヨーロッパ、南米、北中米、アフリカ、アジア、オセアニア)に分けホーム・アンド・ アウェー方式で行う(地域によっては参加国の中から1か国集中型の「セントラル方式」や2か国を特定する「ダブルセントラル方式」を 取り入れる場合もある)。6地域それぞれに出場枠が定められ、過去の実績で各大陸地区の出場枠が増減される。中には「大陸間 プレーオフ」と通称される試合でいわゆる「0.5枠」を争う地区もある(例:アジア地域の出場枠を2.5、北中米カリブ地域の出場枠を2.5枠 とすると両地域の予選上位2チームが自動的に本大会に進出し、両地域の3位同士が「大陸間プレーオフ」でホーム・アンド・アウェー 方式で対戦する。この勝者が本大会出場権を獲得するシステム。)。 2010年大会はヨーロッパ13(参加53)、アフリカ6(参加51)、南米4.5(参加10。上位4チームと5位が北中米4位とのプレーオフ)、 アジア4.5(参加43。上位4チームと5位がオセアニアとプレーオフ)、北中米カリブ3.5(参加35。上位3チームと4位が南米と プレーオフ)、オセアニア0.5(参加10。1位がアジア5位とプレーオフ)。208の国・地域のうち、パプアニューギニア、ブルネイ、ラオス、 フィリピンを除く204の国・地域がエントリーし、後に棄権したブータン、グアム、中央アフリカ、サントメ・プリンシペ、エリトリアを除いても 過去最多となる199の国・地域が参加した。予選のグループリーグの順位決定方法は「勝ち点が並んだ場合は、グループリーグでの 得失点差、グループリーグでの総得点、当該チームの直接対決の成績の順」という従来の順位決定方式になっている。 本戦は大会ごとに運営方法に変更が生じるが、セントラル方式でのグループリーグと決勝トーナメントから構成される(過去には決勝 トーナメントに相当する試合をリーグ戦形式で行ったこともある)。1998年大会以降は、出場32ヶ国が4ヶ国ごとの8組に分かれて、 グループリーグを戦い、各グループの上位2ヶ国の計16チームが決勝トーナメントに進出する。また、各グループにはそれぞれ開催国と 前回優勝国など1か国がシードとして配置される。グループの組み合わせは、シード国を含む欧州地区は(17か国以上出場しない限り)、 一つのグループに2か国まで、それ以外の各大陸地区は(9か国以上出場しない限り)、同じ大陸勢との対戦は決勝トーナメント以降に なる様に配置する。グループリーグは、出場チームをいくつかのグループに振り分け、グループ内の各チームと1試合ずつ対戦する。 試合の結果ごとに「勝ち点」が与えられ(勝利=3点、引き分け=1点、敗戦=0点、1990年大会までは勝利=2点)、全試合終了時に 各グループで、勝ち点が最も多い上位2チームが、決勝トーナメントに進出することができる。それでも決着がつかない場合、 当該チーム間の勝ち点、得失点差、総得点の順に判断し、これが引き分けだった場合はくじ引きで順位を決定する。決勝トーナメントは、 同一グループのチームとは反対ブロックになる様に配置する。ノックアウト方式で実施され、規定の時間内で決着がつかなかったときは 延長戦を、それでも決着がつかないときはPK戦で勝敗を決める。 ワールドカップにはさまざまなジンクスがある。 欧州以外で開催される大会は全て南米勢が優勝し、欧州勢は優勝できない。 グループリーグ初戦に負けたチームは優勝できない。 グループリーグ最終組からの優勝はない。 開催国はグループリーグを必ず突破する。 前回大会の3位と4位のいずれかは予選敗退に終わる。 以上のジンクスは2010年の大会ですべて破られた。 しかし前年のバロンドール受賞者のいる国は優勝できない。 2009年はアルゼンチンのメッシが受賞。アルゼンチンはやはり優勝できなかった。 2010南アフリカ大会を長男が夏休みの自由研究でまとめたので、こちらも合わせてリニューアル^^ 自身が見てきたワールドカップをまとめてみました。 ●2010年 第19回南アフリカ大会 ドイツMFエジル・FWミュラー、アルゼンチンFWイグアイン、デンマークFWベントナー、メキシコFWドスサントス、日本MF本田・ MF長谷部、ブラジルDFマイコン アフリカ大陸で初の開催となった。強豪国のイタリア、フランスが予選敗退。開催国のアフリカ勢も振るわず決勝トーナメントに進んだのは ガーナだけ。南米は出場5カ国すべてが決勝トーナメント進出。アジアも日本と韓国2チームが決勝トーナメントへ。ニュージーランドが 予選すべてに引き分け検討したが予選敗退。応援のブブゼラの騒音が問題になったり、誤審が目立ったり公式球が問題になったりと さまざまなことがあった大会でした。 スペイン悲願の初優勝。オランダは3度目の決勝進出で三度またしても敗退。日本は自国開催以外で初勝利&初勝ち点そして決勝 トーナメントにも進出! イングランドを優勝、スペインが準優勝を予想。予選で苦戦したイングランドがトーナメントで予想と反対側のブロックに入ってしまい、 あっけなくドイツに敗退(悲)。 スペイン:優勝、オランダ:準優勝、ドイツ:3位、ウルグアイ:4位 ●2006年 第18回ドイツ大会 ドイツFWポドルスキー・MFシュバインシュタイガー、スペインMFセスク・MFイニエスタ・FWトーレス・FWビジャ・MFシャビアロンソ、 イングランドMFランパード・FWルーニー・DFテリー・MFジェラード、フランスMFリベリ、オランダFWファンニステルローイ・FWロッベン・ MFスナイデル、アルゼンチンMFメッシ・MFマスチェラーノ、ポルトガルFWクリスチアーノロナウド・MFデコ、ウクライナFWシェフチェンコ、 ガーナFW A.ギャン 32年ぶりのドイツ開催。強豪国が順当に決勝トーナメントに勝ち進み、決勝トーナメント1回戦では潰し合いとなった大会。決勝では ジダンの頭突きが印象に残っています。 スペインを優勝予想・・・がダメでした。イタリアが優勝するとは思ってもみなかった。 イタリア:優勝、フランス:準優勝、ドイツ:3位、ポルトガル:4位 ●2002年 第17回日韓大会 ブラジルMFロナウジーニョ・MFカカー、ドイツMFバラック、スペインGKカシージャス・DFプジョル・MFシャビ、イタリアMFガットゥーゾ・ MFピルロ、アルゼンチンMFアイマール、スウェーデンFWイブラヒモビッチ・FWリュングベリ、ポルトガルMFフィーゴ、 デンマークFWトマソン、パラグアイFWサンタクルス、ウルグアイFWフォルラン アジアでは初めての開催。オランダが本大会に出場できず、本大会予選でもフランス、ポルトガル、アルゼンチンが敗退。開催国の 韓国がイタリア、スペインを決勝トーナメントで撃破(疑惑の判定が多発)し準決勝まで進んだ。自国開催ではありますが、日本初勝利 (初勝ち点)と初の決勝トーナメント進出。決勝はワールドカップでは初めての対戦となるブラジル対ドイツだった。 この大会もスペイン優勝を予想。イングランドにも肩入れしましたが…。 ブラジル:優勝、ドイツ:準優勝、トルコ:3位、韓国:4位 ●1998年 第16回フランス大会 デンマークGKシュマイケル・MF B.ラウドルップ、ブラジルDFロベルトカルロス・FWロナウド・MFセザールサンパイオ(フリューゲルス他で プレー)・FWデニウソン・FWエジムンド(ヴェルディ―他でプレー)、イタリアFWデルピエロ・GKブッフォン・DFカンナバーロ・ FWインザーギ・DFネスタ、カメルーンFWエムボマ(ガンバ他でプレー)、ナイジェリアFWカヌ、ユーゴスラビア(セルビア) MFペトロビッチ(レッズでプレー)、イングランドMFベッカム・FWオーウェン・FWシアラー、スペインFWラウール・MFルイスエンリケ、 スウェーデンFWラーション、パラグアイGKチラベルト、クロアチアMFボバン、フランスMFジダン・DFデサイー・MFデシャン・FWアンリ・ DFテュラム・FWトレセゲ、オランダMFシードルフ・MFダビッツ、ドイツGKカーン、アルゼンチンFWクレスポ、カメルーンFWエトゥ、 日本MF中田英 本大会出場国が24から32へと多くなった大会。ベスト16のアルゼンチン対イングランドでのベッカムの退場、決勝のフランス対ブラジル戦での地元フランスの圧勝。日本もワールドカップ初出場で かなり見た大会です。一番の見所は優勝候補と思っていたスペインが予選で敗退したことです。予選でのナイジエリア対スペイン。スペインが先制しナイジエリアが追いつく展開が2度あり、 最後はナイジエリアが逆転勝利。これは本当にすさまじい試合でした。 この頃から、スペインとイングランドの応援に力が入り始めました。 フランス:優勝、ブラジル:準優勝、クロアチア:3位、オランダ:4位 ●1994年 第15回アメリカ大会 コロンビアMFバルデラマ、スペインDFイエロ・FWベギリスタイン(レッズでプレー)、アルゼンチンFWバティステュータ・MFオルテガ、 イタリアMFアルベルティーニ・MFゾラ、オランダFWベルカンプ・DF Fデブール・MFオーフェルマルス・MF Rデブール、ブラジルDFカフー・ MFレオナルド(アントラーズでプレー)・MFライー・MFジーニョ(フリューゲルスでプレー)、ナイジェリアMFオコチャ、 スウェーデンFWラーション この大会ももうひとつパッとしなかった印象。決勝のブラジル対イタリア戦はPKまでもつれ込み、イタリアのエースバッジオが最後に PKを外したが印象に残ります。ルーマニアの選手全員が金髪にしたのもすごくインパクトがありました。優勝候補のコロンビアが オウンゴールという不運で予選敗退。そしてオウンゴールをした選手が射殺されるというショッキングな事件もありました。 お気に入りのスウェーデンが3位と活躍した大会でした。 ブラジル:優勝、イタリア:準優勝、スウェーデン:3位、ブルガリア:4位 ●1990年 第14回イタリア大会 オランダMFフリット・MFライカールト・FWファンバステン・MFファネンブルグ(ジュビロでプレー)、 ユーゴスラビア(セルビア)MFストイコビッチ・MFサビチェビッチ、ルーマニアFWラドチョウ・ハジ、ドイツDFマテウス・ DFブッフバルト(レッズでプレー)・FWクリンスマン、イタリアMFバッジオ・DFマルディーニ・FWスキラッチ(ジュビロでプレー)、 イングランドFWガスコイン、ブラジルMFドゥンガ(ジュビロでプレー)・MFジョルジーニョ(アントラーズでプレー)・FWロマーリオ・ MFエドゥー(フリューゲルスでプレー)、アルゼンチンFWバティステュータ・FWカニーヒャ、スウェーデンMFブロリン、コロンビアGKイギータ・ MFバルデラマ この大会はあまり盛り上がらなかった。カメルーンがアフリカ勢として初のベスト8に。南米のコロンビアや東欧のユーゴスラビアの躍進が大会を楽しませてくれた。 フリットのプレーにあこがれ、オランダびいきになったのはこの頃。無論ACミランも大好きでした。 西ドイツ:優勝、アルゼンチン:準優勝、イタリア:3位、イングランド:4位 ●1986年 第13回メキシコ大会 西ドイツDFマテウス、スペインFWサリナス(マリノスでプレー)・FWブトラゲーニョ・FWリネカー(グランパスでプレー)、 ブラジルFWカレカ(レイソルでプレー)、フランスMFパパン、デンマークFW Mラウドルップ(ヴィッセルでプレー) 当初はコロンビア開催の予定だったが治安の悪さがあり代替え地のメキシコになった。この大会が一番印象に残っています。マラドーナの大会と呼ばれているヤツですね。神の手、5人抜きが 有名です。ベスト8のブラジル対フランス。後半のPKをジーコが外しPK戦まで行って、こんどはプラティニがPKを外した。にもかかわらずフランスが勝利したのでした。 個人的には西ドイツ、フランスを応援していました。 アルゼンチン:優勝、西ドイツ:準優勝、フランス:3位、ベルギー:4位 ●1982年 第12回スペイン大会 イタリアDFバレージ・FWマッサーロ(エスパルスでプレー)、西ドイツGKシューマッハー・MFリトバルスキー(ジェフでプレー)、 イングランドFWケビンキーガン、ブラジルMFファルカン・MFトニーニョセレーゾ・DFソクラテス、アルゼンチンMFマラドーナ・FWラモンディアス (マリノスでプレー)、カメルーンFWミラ 大会出場枠が16カ国から24カ国に増えた大会。ハンガリー対エルサルバドルではハンガリーが10得点のワールドカップ記録を作った。 ブラジル黄金の中盤(ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョセレーゾ)はイタリアのロッシにやられた! 準決勝フランスVS西ドイツ 1-1の引分けの後延長前半で3-1とフランスがリード。誰もがフランスの勝利を確信した。しかし、西ドイツは延長後半怪我のストライカー、 ルンメニゲを投入し、同点に追いつき、PK戦の末見事に勝利したのでした。大好きなポーランドのボニエクも活躍した大会だった。 イタリアのロッシが大のお気に入りになり、イタリアびいきに。 イタリア:優勝、西ドイツ:準優勝、ポーランド:3位、フランス:4位 ●1978年 第11回アルゼンチン大会 ポーランドFWボニエク、フランスMFプラティニ、イタリアFWロッシ、西ドイツFWルンメニゲ(弟がレッズでプレー)、ブラジルMFジーコ 出場を辞退したクライフ抜きで決勝まで行ったオランダは素晴らしい!西ドイツのベッケンバウアーも不出場だった。 14歳の少年はただ単にサッカーを見ていたにすぎなかった…と思います。 アルゼンチン:優勝、オランダ:準優勝、ブラジル:3位、イタリア:4位 ●1974年 第10回西ドイツ大会 アルゼンチンFWケンペス、オランダMFクライフ、西ドイツDFベッケンバウワー、DFブライトナー クライフ率いるトータルフットボールのオランダ対開催国西ドイツ。記憶の奥に少しだけしか残っていませんが、クライフの活躍が10歳の 少年には確かに刻まれたのでした。 優勝したこともあり、当時は西ドイツが大好きでした。 西ドイツ:優勝、オランダ:準優勝、ポーランド:3位、ブラジル:4位 それ以前に活躍した選手や成績など 西ドイツ:1970MFミュラー、1966DFベッケンバウアー 優勝1954、準優勝1966、3位1934,1970 イングランド 優勝1966 フランス 3位1958 イタリア:1970GKディノゾフ 優勝1934,1938、準優勝1970 ブラジル:1958FWペレ 優勝1958,1962,1970、準優勝1950、3位1938 ポルトガル:1966FWエウゼビオ ジャンル別一覧
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